
シロモチグループ・ジャパン代表
【シロモチの履歴書⑤九段下】
【シロモチの履歴書⑤九段下】
シロモチの過去を思い起こす一。
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「もう、早く帰ってくれ」。
私は部屋で長々と居座り、話を繰り返す母に対して、ぶっきらぼうに言い放った。
そんな言葉を聞いて、母は、少し寂しそうな表情を浮かべ、「わかった」と小さな声で言い、部屋から出ていく身支度を始めた。
そして、荷物をまとめ終え部屋から出ていく―。母は帰り際に私に対して「体調気を付けて」と声を掛けて、
部屋の扉を閉めた。「パタン」。母は出ていき、帰っていった。
私は当時、部屋から出ていく母の寂し気な後ろ姿を見ていた。
その当時の後ろ姿が、今でも脳裏に残っている一。
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大学の入学式は、日本武道館にて行われた。
私が通学していた大学は、入学者数は約8万人、OBOGを合わせると100万人以上といういわゆるマンモス校である。
そのためか、入学式も大型の会場で行うことになるのだ。
私は、入学式の1週間前には、四国の故郷から上京した。
当時、初めて、東京駅の列車から見る車窓の都会の街並みには圧倒されたものだ。
そんな入学式の日のことである。
入学式に合わせて、私の母が、同席のためこの日限りで上京してきたのだ。
18歳当時の私にとって、入学式で母に同席されるということは、あまり心地の良いものではなかった。
なぜだろうか、当時はどこか恥ずかしさを感じていた。
入学式前にはある程度友人も少しずつでき始めていた。そんな中、母と一緒に入学式へ出向くのが恥ずかしかったのかもしれない。
入学式にあたり、私は「別に来なくてもいいよ」と前々から母には言っていた。だが、
母は「どうしても入学式を見たい」というようなことを言うので、仕方ないと思い同席してもらった。
日本武道館は九段下駅から降り、坂をのぼったところに位置している。
東京駅辺りで母と待ち合わせ、無事合流し、ともに九段下に向かった。
正装で着飾った母と、スーツ姿の私。
「大学はどう?、慣れた?」などと、母から質問が、矢継ぎ早に飛ぶ。
そんな質問に対して私は「まあまあかな」とそっけなく応える。
そんなたわいもない会話がしばらく続き、あっという間に九段下駅まで到着した。
入学式に参列。
ありきたりな挨拶や校歌斉唱、OBの祝辞等があり、無事入学式も約2時間ほどで終了した。
まだお昼ごろであった。会場周辺は桜が咲き乱れていた。
桜と日本武道館をバックに、母がデジカメで「パシャり」と、スーツ姿の私を撮影した。
母の帰りの便まで、まだ時間があった。
その後、母と二人で、近くの御茶ノ水駅まで移動した。
母は「入学祝いに何か買ってあげる」と言った。
特に、ほしいものはなかったが、通学するカバンがないことに気づいた。
そこで御茶ノ水駅周辺にあるカバン屋に入り、大学生らしいカジュアルなカバンを買ってもらった。
会計を済ませてくれた母から、そのカバンを、素っ気なく受け取った。
母は、その後、私の住んでいる大学寮の部屋を見たいと言い出した。
仕方がないが、その寮がある板橋までまた電車を乗り継いで案内した。
部屋に到着しても、たわいもない会話を繰り返した。
「きちんと毎日ご飯を食べるように」など
おせっかいじみた話が多かった。
そんな当時の私はなぜかいらだちを感じていた。
18歳にもなり、まだ子供扱いされるところに恥ずかしさを感じていたのかもしれない。
「もう早く帰ってくれ—」。
部屋で長々と居座り、話を繰り返す母に対して、私は、唐突にそんな言葉を、ぶっきらぼうに言い放った。
その言葉を聞いて、母は少し寂しそうな表情を浮かべた。
「わかった―」。
母は寂しそうに言葉をつぶやき、部屋から出ていく身支度を始めた。
そして荷物をまとめ、部屋から出ていく―。
母は「体調には気を付けて」と私に言った。
そして部屋の扉を「パタン」と閉めた。
私は出ていく母の寂し気な後ろ姿を見ていた。
その当時の後ろ姿が、今でも脳裏に残っている。
部屋から最寄り駅までは徒歩15分はあるだろうか―。
その道中、重たい荷物を持って、また東京駅まで電車を乗り継ぎ、
そして四国の故郷へ一人で帰っていく母を想像した。
慣れない都心への道中、一人で帰らせたこと、
そして、ぶっきらぼうに、「早く帰ってくれ—」と言い放ったことすべて悔やんだ。
そんな18歳当時の私は、自らの携帯電話を手に取り、
せめても償いとして、
「気を付けて帰って」とだけ打ち、
そして送信した―。
気を付けて帰ってという言葉だけで、当時の私は精一杯だった。
入学式までわざわざ来てくれたこも、大学に進学させてくれたこと、そして、
傷付けるような言葉を放った「申し訳なかった」という言葉が、この気を付けてという言葉にすべて込められていた。
現在なら言えるが、
当時は言葉として表現できなかった。恥ずかしかったのだ。
東京での生活では、幅広い貴重な経験させてもらった。
当時生活のおかげで、人のつながりや、都心と地方の双方の感覚を知れた。感謝している。
シロモチグループ・ジャパン
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