- シロモチグループ・ジャパン代表
【シロモチの履歴書①「祖母と歩いた道」】
【シロモチの履歴書①「祖母と歩いた道」】
シロモチの過去を思い起こす一。
当時、小学校の高学年か、中学1年生位に差し掛かる頃だった。
80歳代に差し掛かろうかという、離れて暮らす祖母の実家を訪れていた。
春先の過ごしやすい季節だった。ふと祖母が「神社にお参りにいきたい」と私に言ってきた。「なぜ急に?」と私は思った。
ただ祖母はたいへん信心深い人だった。
家にある仏壇(祖母の両親)へ毎日お経を唱えお祈りしていた。祖母が幼い頃には、祖母の両親は病気で亡くなったと聞いたことがある。そんな状況を経験している祖母だからこそ、信心深くなるのも無理はないのかもしれないと思った。
祖母が神社に行きたいと言ったが、実際この神社は、道を隔てた隣の坂の山の上だ。
この神社は坂の山の上に沿って建てられている。
昔ながらの神社だ。
いわゆる本殿のような場所に行くには、人口的に造られたスロープ坂、もしくは約1,000段はあるのではないかというような階段を上っていくしかない。
祖母は、当時のさらに10年ほど前に、ふとしたひょうしに転倒し、その後遺症のためか足が悪かった。片方の足を、若干引きずるようにして歩くのだ。
そんな祖母が「本殿まできちんとお参りに行きたい」というのだ。前述のように信心深い祖母だ。
お参りにはいけないからと、山坂の下の方までは行き、上の本殿を眺めながら、お祈りをしている様子も見ていた。
そんな祖母が本殿まで行きたいというのだ。そんなことを言い出したので、「危ないし、やめとこう」と言って私はきかせてみた。だが、祖母は「嫌だ」と断固としてその意思を曲げないのだ。
「祖母がそこまで言うのなら―」。
祖母からは、どうしても行きたいという気持ちを顔の表情や声から感じたのだ。
ただ、同伴してついていかないと、「もし転倒したりしたら危ないな」と私は思った。
私と祖母の二人は、山坂の上の神社を目指して家を出発したのだった。若い人が歩けば約10分もあれば頂上の本殿には到着する距離だ。
ただ祖母は足がよくないのだ。
前述のようにスロープ坂か階段しかない。ただそんな多くの階段を登るのは厳しいと思った。
そこで、私たちは、スロープ坂道を選択した。緩いスロープ坂が続いていき、頂上に近づくにつれて、どんどんと傾斜は強くなる。
私は祖母の手をひっぱりながら、「よいしょ、よいしょ」と声を小さく掛け合いながらスロープ坂を上がりだした。
今、振り返ると、それまで手を引いて育ててくれた祖母へ、代わりに私が手を引いてあげるのは感慨深いものがあるのかもしれない。
私は当時、思春期に差し掛かる年代であった。登り始めの最初の頃は、同級生や知り合いの誰かにこの姿を見られたら恥ずかしいなと思っていた。
ただ、だんだんと歩き出すにつれて、そんなくだらない思いはすっかりなくなっていった。
この時の情景が今も思い起こさせる。
約1時間はかかっただろうか―。一歩一歩進んでいった。
そして、やっとのことで頂上にある本殿のような場所にたどり着いたのだ。
祖母は、本殿の前で目を閉じ、そこでしっかりとお祈りをした。
「何と祈っているのかな、やはり健康かな?」と私は推察していた。
祖母に何をお祈りしたのかは聞かなかったと思う。ここまで苦労してまで祈ることを聞くことは、それは無粋だと思ったからだ。
そして、無事お祈りを終え、また、来た道をゆっくり、一歩一歩下って二人でおりていった。
無事家に到着できたときには本当に、けがなく連れて帰れたことを安堵したものだ。
「また行きたいねえ」という祖母に対して、私は「そうやね」と応えた。
ただ私は道中、祖母の手を引きながら
ふと「これが最後かもしれないなあ」と思っていた。
足の状態も悪かったからか、実際に、祖母とお参りしたのはそれが最初で最期だった。
私は「この情景は忘れないでおこう」と無意識に心に刻んだ。
この道中での体験は、濃密であり貴重なかけがえのない時間だった。
もしこの道中に再度戻れるなら、祖母に対して「ありがとう」と伝えたい。
【SDGs「(持続可能な開発目標)」策定】
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