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  • シロモチグループ・ジャパン代表

【シロモチの履歴書②「介護施設での日々」】

【シロモチの履歴書②「介護施設での日々」】


シロモチの過去を思い起こす―。


私が高校生に上がる頃、祖母が倒れた。


足や体調が悪く、家の近く病院に通院していた時、その病院内で倒れたそうだ。


今思うと、倒れたのが病院内だったのは不幸中の幸いだったのかもしれない。


即看護師さんが救護にあたってくれたと後で聞いた。


ただ、その転倒した時、後頭部から強く頭を打ち付けて倒れたようだった。


大型病院へ搬送となり、その入院している病院に見舞いに行った。


ただそこにいたのは、私が知っている祖母ではなかった一。


ありとあらゆるような管につながれ、目もうつろに「ぼーっ」と天井を眺めている。


ハキハキとものを言う祖母だった。気の強い祖母だった。


そんな祖母の弱った姿を見て悲しくなった。


言葉という言葉を発せず、「大丈夫?」という声をかける私を見ても、私がだれだが、認識できていないようだった。


いわゆる認知症が進んだのだ。


祖母は元気な頃、食堂を実家で営んでいた。昼は食堂、夜は居酒屋のような形式のお店だ。


近くの会社や市役所の常連の方で、小さいながら賑わっていた。


私自身、小さい頃はそのお店に顔を出していた。


いわゆるマスコットキャラクターのような存在で、


幼い私を、お店に来てくれるお客さんらが大変可愛がってくれたのを覚えている。


特に、夜の居酒屋の場では、いつもはきちんとしている大人が、素を見せる砕けた様子や本当のサラリーマンの仕事終わりを見れていた。


幼いにがらに大人はたいへんだと思った。


大人に囲まれて過ごした貴重な経験でもあった。


話は戻るが、


入院していた祖母は、そこからしだいに体調は快方に向かい、無事に病院を退院できた。


ただ、認知症が進み、かつ体の自由も以前ほどきかなくなったため、祖母はその後、介護施設へと転所となった。


月に数回ではあるが、私は定期的に介護施設へ顔を出すようにした。


時たまには認知症の影響のためか機嫌が悪い時も見られたが、全体的にはしだいに快方に向かい、私のことも認識してくれるようになっていたった。


幼い頃の私の記憶しかないのか、私をみると「大きくなったなあ」とよく驚いていた。


ただ、完全には私のことを思い出すことは難しいようだった。また話が前後かみ合わないことも多々あった。


ただそんな状況でもしだいに大丈夫だと感じるようになった。また気にしなくもなった。


認知症となるのは仕方のない側面が多い。なりたくてなっている人はいないのだ。


私のことを忘れてもいい。


「私が祖母のことを覚えているから―」。


介護施設で過ごした日々は貴重な最期の思い出となっている。最期は穏やかに過ごせていたのではないかと思う。


心残りはいつもの実家に連れて帰れなかったことくらい。


楽しかった日々を感謝しています。


【SDGs「(持続可能な開発目標)」策定】

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